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新潟家庭裁判所 昭和54年(少ハ)2号 決定

少年 W・S(昭三三・八・一九生)

主文

本人を昭和五五年二月四日まで中等少年院に継続して収容する。

理由

1  本件申請の要旨

本人は、昭和五三年六月九日茨城農芸学院に入院し、(1)困難な場面でくじけないようにする。(2)根気強く真面目に働く態度を養成する。(3)自制力を身につけさせ強化する。という個別教育目標を立て、同院中でも社会的未成熟者の集団である二寮に編入したが、教官の働きかけに対してニヤニヤするだけで受け入れる様子がないばかりか、逃走未遂などの反則行為を繰り返し、反省のための個室処遇と二寮での集団処遇を繰り返していた。同年一〇月二三日、再鑑別結果から指針を得て、本人のための特別処遇チームを編成し、集中的に働きかけを行つたが、効を奏さず、断続的な拒食もあつて、同年一一月一四日外部の精神科医の診断を受けたところ、心因反応、性格異常と診断され、同年一二月二九日まで投薬治療を受けた。同年一二月一日の収穫祭で、他生の前で歌を歌つて喝采を受けて気をよくしたことがあり、また再度の再鑑別結果から、集団処遇に戻し、暫く安定した状態が続いたが、昭和五四年四月ころから逃走念慮が再発し、逃走未遂等の行動があらわれるようになつた。本人の逃走目的は、婦女子との性的交接と飲酒して寝ころびテレビを見るというものである。新潟保護観察所からは受け入れ可能との回答を得ているが、これまでの処遇経過、成績、日頃からの性に対する異常な関心の強さからすれば、出院した場合、婦女子に対する姦淫目的の犯罪に及ぶ危険性は極めて大きく、社会生活に復帰させることは不相当であり、今後計画的、集中的な矯正教育を行う必要があり、三か月間の保護観察期間を含め、八か月間の収容継続が必要である。

2  当裁判所の判断

(1)  本人は、中学三年時の昭和四八年一一月五日、窃盗(学校荒し)により、新潟家庭裁判所佐渡支部で不処分となり、昭和五〇年一一月二〇日、住居侵入(姦淫目的)により、同裁判所支部で保護観察となり、昭和五一年三月一八日、脅迫(姦淫目的)、窃盗(店舗荒し)により、同裁判所支部で中等少年院送致決定を受けて水府学院に入院し、昭和五二年九月一六日仮退院したところ、その後飲酒傾向が生じ、保護会に補導を委託されたが、動労意欲がなく、就労するが長続きせず、アルコール中毒の疑いで病院に入院しても出奔し、窃盗(ビールを盗む)により検挙され、昭和五三年六月五日、新潟家庭裁判所で、再び中等少年院送致の決定を受け、同月九日茨城農芸学院に入院したものである。

(2)  本人は、入院後、二級下に編入され、一〇日間の個室処遇を受け、社会的未成熟者の集団である二寮で処遇を受けるようになつたが、教官への反抗、逃走未遂などの反則行為が頻発し、そのつど謹慎等の処分を受け、個室処遇と集団処遇を繰り返していた。昭和五三年一〇月二三日から、特別の個別処遇を施すため、職員による処遇チームが編成され、集中的な働きかけが試みられた。その間、断続的な拒食傾向があらわれるなどしたため、精神科医の診断を受けたところ、心因反応、性格異常と診断され、同年末ころまで投薬治療を受けた。本人に対する特別処遇は、大きな成果は挙げなかつたようであるが、同年一二月一日の収穫祭において、他生の前で歌を歌うなどの積極性も認められ、その際皆から喝采を受けるなどの経験も得た。その後同年一二月二五日から、再度の再鑑別結果から集団処遇を拡大すべく元の二寮に戻され、翌五四年三月までは一応安定を保ち、同年三月一日には二級上、同年四月一日には一級下への昇級を得たが、同月一〇日逃走未遂行為があつたため、二級下に降級され、同年五月には再び断続的な拒食傾向があらわれるなど不安定な様相を呈し、現在に至つている。

(3)  本人は、知能が低く、小中学校時代から集団に適応できず、家庭の保護能力にも恵まれなかつたこともあつて、内閉的で無気力な性格となり、中学三年時から非行があらわれ、関係諸機関の処遇を重ねてきたものの、その働きかけを受け入れることなく困難(関係諸機関による働きかけも含めて)に対しては逃避的で、自己の原始的快楽に直情的に走り、非行を繰り返している。特に水府学院仮退院後は飲酒を覚え、アルコール常習者となり、酒癖に基因する犯罪に走つている。

茨城農芸学院においても、職員からの働きかけに対し、終始ニヤニヤした態度で受け入れる様子がないことも、本人がこれまでの経験から自然と身につけた自己防衛行動と受けとれる。同少年院における処遇は、試行錯誤の繰り返しのようであり、長期間の収容生活によるストレスの蓄積もあり、矯正効果も一時的に良好な時期も認められるが、全体的には進歩の跡は薄く、結果的に、分類級別の適正に疑問なしとはいえない。

本人の度重なる逃走未遂は、本人の言によれば自由になりたいということであるが、その目的は、少年院における処遇等の負担からの逃避であり、また、婦女子との性的交接、飲酒等の自己の快楽への願望であり、水府学院仮退院後の勤労を嫌い、飲酒に耽ける生活態度をみれば了解できるところである。

少年院において立てた教育目標はいずれも達成に程遠く、本人の犯罪的傾向の矯正は未達成といわざるを得ず、本人の社会生活に対する意欲も自己の快楽の追求ばかりであり、本人が現時点において出院した場合、自己の欲求を満たすため盗犯あるいは性犯罪を犯す可能性は高いと考えざるを得ない。

(4)  ところで、本人の実母は、本人の本籍地において、農業を営むかたわら土工として稼働し、一人暮しであるところ、現在、生活は苦しく、本人が真面目に稼働するならば、帰住することにより生活の助けとなるが、再び犯罪を犯し迷惑を被ることになれば負担に耐えかねるといつた状態であり、本人にとつての保護能力は不十分といわざるを得ない。また、その他に適当な帰住先も見い出すことができない。

(5)  以上の次第であるから、本人が自由になり自己の快楽を求めることも人間の欲求としてある程度もつともであり、本件収容にかかる非行事実が比較的軽微であることに鑑みれば、収容を継続することは、それに伴う本人の苦痛が過度に過ぎる面がないとはいえないが、本人の現在の精神状態、犯罪的傾向、社会内の受け入れ体制を考えると、本人に対しては是非ともその犯罪的傾向の矯正を達する必要があり、そのためにいま暫く収容を継続することが相当である。その期間は、出院後の保護観察期間も含め八か月とする。これまでの少年院における処遇経過、本人のこれに対する反応、成績等に鑑みれば、本人に対しては特殊教育課程(H2)に編入し、より適切な処遇を加えることが必要と考えられるので、少年院に対しては、然るべく移送の手続をとるよう勧告する。

よつて、少年院法一一条四項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 浅香紀久雄)

〔参考〕 昭和五四年七月三日 神奈川医療少年院(特殊教育課程)に移送

同年 七月二七日 関東医療少年院(医療措置課程)に移送

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